あと、数分で、乗る予定の新幹線が到着する。
なんと、濃い一日だったなぁと思う。

午前中十一時過まで仕事をする。本来、第二土曜日は休みとさせていただいているのだけれど、得意先からの依頼にあがなえず、やぁ、もちろん、大丈夫ですよぉ、などと返事をしながら焦る。
で、まぁ、新幹線。
品川へと向かう。


このところへたばっていたこともあり、座席でうつらうつらしている間に、新横浜。東京まで行ったら大変と、頭をはっきりさせる。
と、喉が弱いので、前準備。
ベンザブロック咳止め液。一回量のみ切りタイプ。
今、飲み、その後、朗読前に飲めば、安心である。
前回は固形のトローチだったのだが、あまり効果がなかった。
薬局では患部に霧状に吹き付けるタイプのものもあったのだが、おっさんが、ホームで、あぁー、と大口開けて、喉スプレーをしている図、あまり見れたものでないのでそれは拒否させていただく。

ただ、いま、帰路につきつつ、思うのは、咳止め液も結果的には、役に立たなかったなぁと思う。

場所は品川駅からすぐそこ。歩いて、10分というところ。
15時15分ほど前に到着したのだけど、駅を出てから見事に反対方向へと歩んだので、少し遅れる。
既に中尾幸世さん、田島和枝さんはもちろん、げんまろさん、OZさん、らべさんが椅子や音響機材の設定をされている。控え室ではくろゆみさんとちなさんが受付の準備をされていた。

改めて、人の出会いとはこんなにも不思議で、そして、なによりも嬉しいことなのだと実感する。
佐々木ドラマ、そして、中尾幸世さんの朗読と田島和枝さんの笙という体験を経て、私達は・・・、この歳になって、私達はという代名詞も気恥ずかしくはあるが、「場」を共有する。私自身、たまたま、偶然、ドラマを見、新聞のテレビ欄になにやら、川の流れはバイオリンの音、という、ちょっとよさげな題名を読み、そんな偶然の積み重なりでこの場にいるのだ。
そして、実は引っ込み思案で、仕事以外ではほとんど喋らない私が、こんにちわと気軽に声をかけることができる。
この場を構成する、その一人としていることができるのは本当に幸いなことだと改めて思う。

中尾幸世さんの朗読と田島和枝さんの笙はとてもよく似合う。
笙の音は光に例えられることが多いと云う。
笙の音を聴いていると、それが実感できる。
染料が水に溶け、その水が色づくように、笙の音は空気に透明感のある色を、つまり、光の三原色から選ばれるあまりにも複雑で、驚くほど単純な色を溶かし込むのだ。
笙により再生された空間は、中尾幸世さんの響きを伝搬させる、最適の媒体となる。
私達は、存分に、響きを心と体に受け止めることができるのだ。

詳しい演目は、外の人に譲るとして、単にメモをしていなかっただけなのが、椅子や机の片付けをほんの少しばかり手伝わせていただくのも、なんだか楽しかったりする。
また、森先生にもお目にかかることができ、元気な御様子が嬉しい、なんだか、ほっとする。席の後方に、らべさんが中心となって、テレビにスライド、森美術館を中心としたスライドを上映されていた。森美術館にていただいたカレーは美味しかったな、ふと、思い出す。私の記憶システムの検索キーワードは食べ物の名前と一緒に検索するのだろうか。

げんまろさんに、初めと終わりのあいさつを依頼される。
今回の催しでも、げんまろさんの頑張りがあればこそなので、げんまろさんに挨拶して貰うほうがいいのではないか、そう思ったのですが、ついお言葉に甘え、拙い挨拶をさせていただきました。

打ち上げ、駅近くにて。
新幹線の時間があり、途中で席を外したけれど、できるならば、泊まり明日帰るという段取りで、最後までいたかったなぁと思う。
毎回、思うのだが、中尾幸世さんとは、ほとんど、喋れていない。現在、商売をし、また、勤めていた頃には営業マンも経験してきた私なのだけど、中尾幸世さんを前にすると、中学高校の頃の、引っ込み思案で吃っていた頃の、ある意味、ピュアな自分に戻ってしまうのだ。
いい歳こいたおっさんの台詞ではないなと思うけれど。