金曜日から、時間のあるときには、ほぼ、テレビに釘付けで、震災の報道を見ています。
テレビを見ていて、地震、津波と大変なところに、原発、放射能漏れ。
被災地の方達は、本当に大変な思いをしていると心痛みます。

政府筋「東電が米支援は不要と」…判断遅れ批判

確かに早い段階で、海の水を入れていれば、今の状況までには至らなかったかもしれません。ただ、海の水を入れてしまえば廃炉になり、経済的損失とを天秤にかけ、ぎりぎり、もしくは、間に合わないような段階でになって、ようやっと、国民の生命の方が大事であるとみせなければならないと、天秤が生命の方に傾いたのだろうなと思います。
海外セレブが寄付を踏みとどまる理由は、やはり日本の○○?
によりますと、CNNのキャスター、アンダーソン・クーパー氏が、現地被災地に入り、レポート。その中で、この原発の現状に対応しているのは民間企業である東京電力であり、日本政府はその情報を得て、発表しているに過ぎないこと、また、東京電力が、過去において、不正を働いていたことを指摘しています。
ようやっと、自衛隊も動き、ヘリコプターから水を撒いたり、地上から放水を始め、なんとか、メルトダウンを回避しようとしておりますが、これが、もっと早い段階で為されていれば、と思いますと、利益を追求する一企業が、莫大な損失を前に、勇気ある対応などできようはずがなく、国民の生命を守るべき政府が、素早く中心となって指揮しなかったことに、政府の無能さを思います。
ただ、私は民主党がだめだとか、東京電力が悪者だとかを言うつもりはありません。
自民党政権でこのような事態になったとしても、これが、福島ではなく、福井県であったとしても、状況は大同小異だったろうと思います。
企業は利益を追求するものであり、莫大な損失を前にしたとき、損失を受入れ、人命を優先することを即決できるか、株主が快く認めるか。そして、原発という、時としては大規模な災害の元になるものを一企業に任せていた自民党が、現在、仮に政権を担っていたとして、今の民主党以上のことが出来たかというと、まず、出来はしないだろうと思います。

中国人研修生20人の安全優先 宮城の男性に感動の声 家族は安否を心配

何故彼は、我が身を賭して、20人の中国人研修生を助けることを選んだか。
私は、彼にとって中国人研修生が「身内」であったから、彼は彼らを助けたいと思い、また、実際に助けたのだろうと思います。

日本では(外国ではどうなのかは知りません)、人間関係を計るとき、区別としまして、「家族」、「身内」、「仲間」、「他人」、と単純に考えまして、こういう分け方をしています。何処までが「身内」であり、どこからが「他人」なのかは、人それぞれかと思います。
そう言った中で、「家族」「身内」については、とても大切にしていますし、大切に思っているのではと思います。ただ、反して、「他人」には無関心、もしくは冷酷であったりします。
どうして、彼のような、我が身を呈してでも国民の生命を守るのだという姿勢が、連日、テレビに出ている政治家や東電関係者、コメンテーター、その他の人達に見えないのは、敢えて見えないと断言してしまいますが、地震、津波、放射能漏れという何十苦もの被害を被っている人達が、「家族」や「身内」と認識した人達でないからかもしれません。
もちろん、例外もあるでしょうけれど。

さて、日本好みの決定の緩やかさと、こういった一刻も争う災害対策という、相反する中で、改めて思いますのは、日本にて原子力発電を扱うのは無理だということ。
電力の供給、経済発展、そういったために原発は必要であると、仮にしても、それを扱う能力が無ければ、もう、利用は諦めた方が良いのではないかと思います。
高度成長、バブルという徒花を経験してきた、特に男性は、その気質として、とにかく進む、そして、壁にぶつかったときに、初めてどうすれば良いのかと考える、そして、結果、案外うまくいくものだ、そういう考え方が根底にあるのではと思います。
この国を動かしている人達の多くがそういった人達ではないかと思う今、あぁ、原発はそうはいかないよと慟哭するのです。

東北電力の原発や六ヶ所村が無事、安寧でありますように。

追記
ネットより http://ameblo.jp/tatsumitakuro/entry-10831822328.html

頼れるどころか、もはや「有害」な日本の震災報道

大阪府議会議長「この地震が起こってよかった」
被災地以外の多くの人が心傷めているであろうはずなのに、この発言が意味するところは、彼にとってこの震災も、それほどたいして心に響かなかった、ということなのだろうなと思う。つまりは他人事ということか。人は同時にいくつもの懸案事項をいだいている、震災は優先度が低かったというわけだ。
ただ、仲間内での発言だろうが、それでも、己の見識を見事に開陳されたものだと驚く。
失言記事はいままでたくさん読んだが、失言、すなわち、本音と思うとき、彼を起てる人達の見識すら疑われることになる。